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泣ける!家族映画10選(大学院で映画を専攻していた映画マニアが推薦)

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泣ける家族映画

はじめに

 映画とひと口にいっても、アクションやコメディなど、さまざまなジャンルがありますが、今回は、「ドラマ/ヒューマン」のなかの、とくに「家族」をテーマにした作品をご紹介します。遠くにいるとさみしい。かといって、近すぎても面倒くさい。春は出会いと別れの季節です。家族と遠く離れて生活している方も、家族と同居している方も、「家族」というもののあり方について、いっしょに考えてみませんか。

1. 小津安二郎監督『秋刀魚の味』(1962)

小津安二郎といえば、まず『東京物語』(1953)を思いうかべる方が多いかもしれません。たしかに『東京物語』は「世界の監督が選ぶ名画」の常連作です。しかし、白黒映画で、物語が単調にみえるため、若い方にとっての小津映画入門作としては、すこしとっつきにくいかもしれません。
そこでわたしがおすすめするのは、こちら『秋刀魚の味』です。本作は、結婚適齢期を迎えた娘とその父との心の機微を丁寧にトレースした、上品な仕上がりになっています。結婚したくない娘。結婚して娘に幸せになってほしい父。昨今の映画のようにナレーションや字幕に頼ることなく、定位置に設えられたカメラがその微妙な距離感を映し出していきます。
どこの家にもありうる出来事、しかし、人生の大きな分岐点を、コメディ色豊かに描き出しています。そこには、高級でも低俗でもない、庶民の味方「秋刀魚」のような味わいがあります。

2. 山田洋次監督『東京家族』(2013)

先にとりあげた小津安二郎『東京物語』(1953)へのオマージュとして、山田洋次が監督したのが『東京家族』。タイトルはもちろんですが、あらすじも基本的には小津作品を「現代的」に踏襲しています。広島に暮らす老夫婦が東京に住む子どもたちに会いにいく。これが物語の軸になっています。しかし、これが意外と厄介なものです。というのは、「会いに行くひと」と「会いに来られるひと」とでは、必ずしも気持ちが一致しないからです(笑)
たとえば、セールスマンが家のチャイムを鳴らすとき、あなたの顔に曇りはありませんか。「いま忙しいからあとにして!」なんて思うこともあるはずです。これは家族内の場合でも同じです。いや、肉親であるために、余計に遠慮のない言葉を返してしまうこともあるのではないでしょうか。こうした双方のすれ違いが本作の魅力となっています。
また、蒼井優が『東京物語』のラストシーンとは決定的に異なるセリフをつぶやきます。ぜひ両者を見比べてみてください。

3.是枝裕和監督『歩いても歩いても』(2008)

 作品のコピーには「いつもちょっとだけ間に合わない」と書かれています。いったいなにに「間に合わない」のか? 「あのときこうしていれば」とか「もしあのバスに予定どおり乗れたなら」とか、長く生きるほどに後悔することも増えてきます。そう、タイミングです。ほんのすこしタイミングがずれただけで、その後の人生を大きく変わってしまうのです。
 しかしながら、この映画は、そのようなテーマを設定し、ときににおわせながらも、とくに大きな出来事は起こりません。いえ、この普遍性(日常)こそがこの作品の特徴です。水戸黄門がいうように「人生は山あり谷あり」ですが、かといって映画のような出来事が毎日起こるわけではありません。まあ、だいたいは、単調でつまらない日々を、わたしたちは過ごしているわけです(笑)
こうした点で、本作は、わたしたちが「日常」という檻のなかで生かされていることをつよく訴えかけてきます。また、映画のなかの「日常」がフィクションでないことを示すためにも、家具の配置や会話などのディテールにも、是枝監督のこだわりが詰まっています。

4.西川美和監督『夢売るふたり』(2012)

 西川美和の映画は、辛辣な批評を伴うものが多いのですが、本作はほとんどコメディに徹して作られています。阿部サダヲはもちろんですが、松たか子もコメディ女優としての力量を存分に発揮しています(この二人は、夫婦役で、詐欺をはたらきます)。 
本作ではお金の話がよくでてきます(笑)しかし、あなどれません。お金がないことには、ひとは生きていけませんし、むしろ資本主義経済では「ひとはお金のために生きている」という一面もあります。それくらいお金はひとの人生を左右してしまいます。「子はかすがい」という言葉があるように、本作ではお金がその役割をはたしています。
しかし、そうした資産も火事によってすべて失うことになります。すべてがリセットされるのです。そのとき夫婦の関係にどのような変化があるのでしょうか。なくしたものはほんとうに「モノ」だけだったのでしょうか。是枝監督同様に細かいメタファーまで見落とせません。

5.森田芳光監督『家族ゲーム』(1983)

 本作は公開当時非常に大きな反響を呼びました。もちろん人気俳優の松田優作が狂気を持った家庭教師役を演じたこともその理由でしょうが、なによりも作品そのものが持つ不気味さが多くのひとに消化不良を起こさせたのでしょう。
舞台となるのは集合住宅。かつて「ひとが縦に重なって生活する不思議」と団地について論じた小説家がいましたが、複数の家族が一か所に集まって暮らすというのは、考えてみれば、社会生活の原始的な形なのかもしれません。
 本作は、そうした集合体のなかで、まるで任意に選びとったかのような、ある平均的な家族の生活を切り取っています。画一的にさえみえる1980年前後の家庭。日本は平和になったが、子どもたちは受験戦争の真っただ中(本作は社会派の側面も持ち合わせています)。そこへ頭のイカれた家庭教師を送りこむことで、家族内の規律やテリトリーを破壊していくような構造になっています。
音楽を一切使用しない変わった映画ですが、ラストシーンでヘリコプターが大きな音を立てて去っていきます。これはいったいなにを意味しているのでしょうか。

6.フランシス・フォード・コッポラ監督『ゴッドファーザー』(1972)

 『ゴッドファーザー』はたんなるマフィア映画ではありません。この映画をみるときに注意すべきなのは、抗争や闇ビジネスといった対外的な出来事よりも、むしろ家庭内の問題についてなのです。
たしかにドン(マーロン・ブランド)はマフィアの棟梁ですが、なにも殺しやもめ事を好んで引き起こすような、好戦的な人物ではありません。ひらたくいえば、ドンは自分の家族(ファミリー)を守るためにそれらのトラブルと対峙しています。もちろん稼業がマフィアであるためまっとうな方法というわけにはいきませんが(笑)
 物語の中盤で、将来家督を譲るはずだった長男はハチの巣にされて殺されてしまうのですが、その遺体を見たときのドンの悲哀のこもった表情は、映画史に残る名シーンとして語り継がれています。マフィアだって最愛の息子を殺されれば悲しい(あたりまえですけど)。しかし、「自分もこれまで同じことをしてきた」「これはもうこの稼業の宿命だ」という諦めにも似た苦渋に満ちたマーロン・ブランドの演技は、わたしも忘れられません。

7.クリントイーストウッド監督『チェンジリング』(2008)

「取り替え子」=「チェンジリング」という物語の形式は、むかしからヨーロッパの伝承にもあったようです。たとえば日本でも大江健三郎が小説にしていますが、子どもを「取り替える」とはどういうことでしょうか。あるいは、子どもを「取り替えられる」とはなにを意味するのでしょうか。本作はそれを母親の視点から描いています。
仕事から帰ると息子がいない。母であるアンジェリーナ・ジョリーは、警察に捜索を依頼したが、息子が見つかることはありませんでした。数か月後「お子さんが見つかった」という警察からの連絡を受けて再会することになりますが、その子は行方不明になった息子とは別人物でした。
本作のおそろしいところは、実話に基づいて書かれたものだという点です。もしあなたが別人を自分の息子だといって押しつけられてしまったら? また、そう口にしたとき異常人物として精神病院へ収容されてしまったら? アンジ―の心の拠り所になっているのは、息子はきっと生存としているという希望と願いです。息子を想う母のつよさをこれほどに感じられる映画はほかにありません。

8.ロベルト・ベニーニ監督『ライフ・イズ・ビューティフル』(1997)

イタリア映画です。第二次世界大戦時の強制収容所を舞台にし、収容所へ送られたユダヤ系イタリア人の父子にカメラを据えています。幼い息子には収容所での生活がなにを意味しているのかわかりません。そこで父は息子に「ここでの暮らしはゲームの一環」だと教えます。たとえば、兵士の目から隠れる場合は「かくれんぼ」だというように。
 このお父さんは殺されてしまうのですが、そのシーンでも、それがゲームであるかのように、コミカルな行進を息子に見せています。カメラは銃殺のシーンを映しませんが、それでもなにが起こったのかは容易に想像ができるようになっています。
どれほど悲惨な現実が目のまえにあっても「人生は素晴らしい」というメッセージを送ってくれる本作。それは父から息子へ伝えたかった最後のメッセージでもあります。もしかすると悲劇も喜劇も表裏一体なのではないか、と妙に納得させられました。

9.スティーブン・フリアーズ監督『ヒーロー 靴をなくした天使』(1992)

 ヒーローとはなんでしょうか。アジアの独裁国家に向けてミサイルを発射することでしょうか。もしかするとそれもヒーローなのかもしれません。しかし、わたしはべつの考えを持っています。
あまり知られていませんが、ミスターチルドレンの『HERO』(2002)は本作が元ネタになっています。《ずっとヒーローでありたい/ただ一人/君にとっての》という歌詞はこの映画の本質をみごとに捉えています。
 本作(ダスティン・ホフマン主演)でも「誰にとってのヒーローなのか」がポイントです。息子(「君」)にとってのヒーローであること。ただそれだけで十分。わたしのような小市民からすると、そんな答えがいちばん幸せなように思います(笑)
サム・メンデス監督『ロードトゥパーディション』(2002)も似たようなテーマを掲げていますが、こちらのほうがコミカルで肩肘をはらずに観ることができるのでおすすめです。

10.『クレイマー、クレイマー』(1979)

 こちらもダスティン・ホフマン主演です。1960年後半代ごろからウーマンリブという活動がアメリカを中心にはじまりました。いまでいう「女性活躍推進」の原点ですね。女性の社会進出は、良い面もありますが、その一方で、従来の社会の枠組みを揺るがしかねないので、慎重に行わなければなりません(笑)
 しかし、それはあくまで傍流の話です。むしろ男性(シングル・ファーザー)の子育てが社会的にどう位置づけられるかという視点で映画を観るとおもしろいと思います(のちに日本でも田村正和主演のドラマがありましたが)。
それまでは「男性は外で仕事し、女性は家庭を守る」というのが先進国の社会では一般的なもののとされてきました。しかしながら、それは、育児を女性ひとりに押しつける、ある種の暴力性を持った枠組みであったといってもよいでしょう。現代では共働きがあたりまえになってしまいました。こうした時代だからこそ、本作でその歴史や起源を振り返ってみてもよいのでは?
 

おわりに

以上です。いかがでしたか。今回改めて映画を見直してみて「家族とはなにか」をわたしなりに考えさせられました。ほんとうは兄弟愛や祖父母との関係を描いたものもとりあげられるとよかったのですが、そうすると膨大な量になってしまうので、上記の作品に絞りました(笑)
困ったときに相談できるのは家族です。また、同様に、家族もあなたになにかを話したいと思っているかもしれません。離れて暮らしている方は、ときどきでも連絡をしてあげるといいかもしれないですね。

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